宿山の庚申塔は愛されているの巻
月1ペースで代官山のお客様訪問した時は徒歩で帰宅するのですが、その途中にある宿山の庚申塔。
以前、この記事内でも紹介しました。
目黒区の山と麓のお稲荷さん【お散歩日:2020.7.11】
今回はちょっとまとめ的な記事。
お地蔵様のマスク遍歴なども。
宿山の庚申塔とは、目黒区上目黒五丁目5番にある庚申塔(の集まり)です。
公式サイト↓
宿山(しゅくやま)の庚申塔(上目黒五丁目5番)【目黒区公式】
これによると・・・
今回、このお地蔵様のマスクと帽子の変化を記事にしようとして、あらためてこの説明を読んだ時に、「屋根の部分は下に落ちてしまっています」っと、なんか重要そうなことをさらっと、これ以上の説明もなく締めくくっているのに気づき、「はて、屋根なんか落ちていたかな?」っと疑問に思ったので、また近くを通る時に真相を確かめてみようと誓って、数週間・・・。
2021年3月20日にその機会が訪れました!
でも先にお地蔵様七変化
まあ、これをやりたかったのでw
これは私が初めて出会ったお地蔵様。2020年7月11日。
黄色のニット帽に、水色ベースの柄付き布マスク。
8月31日に通りかかった時は、、
マスクは同じものだけど、ニット帽が変わってる!白地にピンクの模様入りかな。ポンポンは赤。
10月12日は、、
この頃は、コロナ感染も収まっていた時期ですかね、マスクはしていませんが、
帽子は鮮やかなピンクのものに。
かわいい。
年が明けて
2021年1月30日は、赤いニット帽は同じですが、黒地に玉虫色にきらめく模様の入ったスタイリッシュなマスク着用!
3月20日には、またピンクの帽子に、フローラルなデザインのマスク。美しい。
8か月程度の観察ですが、ニット帽は4種類お持ちのようです。
こうして着替え(頭だけだけど)させてくれ、お花を供えてもらっているお地蔵様。地元の方に愛されてるな~~っとほっこりします。
そして落ちた屋根とは?!
まずは、現場にある案内板を文字起こししてみました。
60日毎にめぐってくる庚申の日に、講の人々が集まって青面金剛、帝釈天、猿田彦などをまつり、
飲食を共にしながら夜を明かす庚申待が行われました。そして庚申待を18回終えると、供養や記念のために
庚申塔を建立しました。この周辺はかつて、字名で宿山といいました。
向かって右から2番目の庚申塔は、元禄5年(1692)の造立で本尊を青面金剛とし、日月、二鶏と、三猿が正面左右の三面にそれぞれ一猿ずつ浮き彫りされています。
その左の庚申塔は、地蔵菩薩を本尊とするもので、延宝3年(1675)に造立されました。
一番左の庚申塔は宝永5年(1708)の造立で、青面金剛、日月、二鶏、三猿が刻まれています。
区の公式より、ずっと文字量多いですな!
いつもより多めに写真を撮ってみましたので、ご紹介。
正面は劣化していてどうもよくわからないですが、青面金剛。
三猿は、三面に分けて彫られてるそうなので・・・
正直、「見ざる言わざる聞かざる」のどれがどれなのかわかりませんでした!
一番左の庚申塔。
これも青面金剛ですが、こっちのほうがお顔が怖いのがわかる。
お猿さんたちは劣化が激しく、いまいちわからん・・・・。
そして、案内板ではスルーされてしまっている小さい人(お地蔵様?)とちょっと大きいけど一番右の人もいますよね。一番右の子は元禄3年造立なのはハッキリわかりますけど。
さてさて、屋根とは??
わかりました。これですわ!
見て一発でわかった。確かに屋根~~~。
こういうのある~!
こんな形が正式だったのでしょう。
↓↓
あのでっぱりにハマるようになってるんだな。
しかし、気にしたことなかったけれど、これ「屋根」なんだな・・・・。
でも、落ちてしまっているこの屋根、これまで戻してあげようという動きはなかったのかなあ・・・。まあ重そうだけれど。
いつ、ここに置かれたのか、いろいろ気になってくるよね~。
お散歩まとめ
宿山の庚申塔はここにあるよ!