調布市,  府中市,  三鷹市

調布に掩体壕を見に行ったの巻
【お散歩日:2019.12.28】

これ、ずっと前から見に行きたかったんですよ。
掩体壕ってかまぼこみたいで、かわいくないですか?(え?そんなこと思ったことないって?)

掩体壕って私の育ってきた環境では身近にないし、何年か前かな、戦史物をよく読むようになって知ったのですが・・・。

空襲から飛行機を守るために作ったものです。
太平洋戦争当時の陸海軍の飛行場の図など見ると、たいてい飛行場の周囲を囲むように何カ所か作られてます。
戦後、閉鎖された基地は、農地として戻され、今は私有地の中に残ってたりするですよね。

この調布の大沢掩体壕のように戦争遺跡として保存されているものもありますが、
農家の納屋に使われていたりして(笑)。

そんな掩体壕をGoogleストリートビューで探したりするとちょっとマニア的に面白いものもあります。

掩体壕巡りしたい~~んだけど、辺鄙な場所にあることが多いので(広大な土地=田舎=農地=私有地)なかなか車でもないとハードルが高い。
都内で残ってるのは、おそらくこの調布飛行場周辺の4つだけかな?

さ、前置きはここまでにして・・・


突然ですが、こんな場所にいます。

調布市大沢コミュニティセンター前交差点。調布駅からバスに乗ってここまでやってきました。
ここから調布飛行場方面へ向かいます。
時間によっては調布飛行場行きのバスがあります。本数が少なかったです。

少し進むと、、、
お!!これは!!


予想だにしてなかった出会い。
旧陸軍調布飛行場入り口の門柱じゃないですか!

いつもながら、行き当たりばったりなので調べが甘く、現存してるのを知りませんでした。


調布飛行場のある周辺は、東京都立武蔵野の森公園なんですね。
旧飛行場の広い敷地はグランドとして再開発されているようです。味スタもそうなのかな。


あちら側に見える味スタ。
一度行ったことがありますが、ラルクのライブでした。


飛行場です!


あ、私は空港って大好きでして、飛行機の離発着見ながら、かなりの長い時間を過ごせる人です。


こじんまりしたターミナル。
大島って行ったことないのだけれど、もし行く機会があっても、船のイメージなんだな。
そんなに時間かからないよね。


さて、飛行場正面入口を過ぎて、、、
見えてきましたよ!


これだ~~


ここは公園として整備されてるので入園。


掩体壕大沢1号。説明板。

掩体壕
「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を
温存するためでした。
太平洋戦争における戦況が悪化する昭和19年(1944年)頃から、コンクリート製掩体壕約30基(有蓋)と土塁で造ったコの字型の掩体壕(無蓋)約30基の約60基が短期間に造られました。建設hあ主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員されました。
掩体壕と飛行場は誘導路で結ばれ、飛行機にロープを結びつけて人力で運びました。調布飛行場周辺には、武蔵野の森公園内の2基と府中市に2基の掩体壕が残っています。
武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和の語り部」として保存しています。


この現代の地図と重ね合わせたものはわかりやすくて良い。


陸軍機、飛燕を元にこうやって格納したんだよっというモデル。縮尺1/10だそう。


この掩体壕はフタしてありますが、絵を描いてあってイメージしやすくなってます。


掩体壕横から。


後ろから。
機体の形に合わせて作ってあるけれど、この方がコスパよかったのかな。
別のサイズの飛行機を格納することなんか考えて、お尻の方を狭くしないようにとか考えなかったのかな。
前後ろを逆にすることとか・・・。


でた!
ここだけにしかない看板シリーズ!!
さすが、飛行場近くの看板。
凧あげ禁止です。


公園内に、調布飛行場を眺めることができる展望台がありましたよ。


せっかくなので登ってみました。


なかなか良い眺めです。
30分もいなかったので、この間、離発着はありませんでした。


さて、この公園の反対側にも、、、、もう1つ、掩体壕あります。
こういう時は迷わず近道を行きます(笑)。


大沢2号。


ここはフタしてませんでした!


んで、この公園横のマンションが斜めってるのがすごい気になります・・・・。


横から。


後ろから。


今いる場所はこのあたり。


公園の外から掩体壕を見つつ、元来た道を帰ります。


こんなに桜の樹があるなら、春にまた来ようかな。


さっきの門柱のところに来ました。
バス停の近くでした。


年季入ってます。


門柱の説明は消えそうになってるので・・・・。
写真を拡大しながら、書き起こしてみました。

調布飛行場は、昭和14年(1930年)に当時の東京府が実高村・調布町・多磨村にまたがる広大な畑や山林
を強制的に買い上げ、多くの農家を移転させて建設に着手した。

この門柱は、東京調布飛行場俊工事、正門として左右に設置され、戦時中は、「東部第百八部隊」等と厚い
板に墨書きされた表札が掛けられていた。
昭和16年(1941年)4月30日に竣工式が行われ、公共用飛行場として「東京調布飛行場」として開設された。
同年12月の開戦とその後の戦争の激化により、陸軍による拡張が繰り返され、関連施設を含めると六十
万坪を上回る規模になった。
本土爆撃に飛来する米国機の迎撃や特別攻撃隊の訓練施設として、帝都防空の最重要拠点となった。
昭和20年(1945年)の終戦と同時に米軍飛行部隊による進駐があり、アジア極東地域米軍基地で消費される
野菜類を水と科学肥料だけで栽培する「調布水耕農場」が建設され、路地栽培を含めて野菜の一大生産基地となった。

多くの生命が失われた悲惨な戦争を記憶にとどめる生き証人としてこの門柱を保存し、平和への道標となることを
願うものです。


野川。


先ほどのコミュニティセンターバス停のあたりまで戻り、今度はJR中央線の駅を目指して、バスに乗ります。三鷹行きのバスが集結状態。


ちょっと寒くて喉も乾いたのでセブンに入って休憩しました。
本日の散歩お終い。

本当は、ここに来るついでに、日帰り温泉「深大寺天然温泉湯守りの里」に寄る予定だったんですが・・・
夜の予定の時間を間違えていたことに家を出てから気づき、そちらを優先するために、
泣く泣く湯守りの里はお預けに・・・・。
仕事納めで疲れ切った身体を癒したかった~~~。
でも飛行場の広い空を眺めたおかげで、眼精疲労は軽減された模様です。

お散歩まとめ

旧陸軍調布飛行場の現存する掩体壕は、4つあるのですが、
ここ以外の2つは、市をまたいで府中市の側にあるそうです。
白糸台掩体壕
大沢掩体壕は調布市の公式説明が見つけられなかったんですが、東京都の公園内だからかな。
って、ここまで書いてだよ、今やっと気づいたよ、ここ三鷹市だよ!!
三鷹の戦争遺跡 みたかデジタル平和資料館
武蔵野森公園
調布飛行場

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