新宿区

新宿の裏も坂や谷がたくさん!【お散歩日:2023.9.2】

先日、坂道の本を読んでしまったせいで、今日もふらふらとお散歩。
坂道を見てみよう(歩いてみよう?)っと思って。
新宿のがどこか知りませんが(笑)、新宿駅を中心として、伊勢丹のあたりと歌舞伎町から外れた北東側をと呼びましょう。

新宿三丁目から歩き出してすぐに、面白いものを見つけた!

正受院というお寺に入ってみると、こんなお堂が。

正受院の奪衣婆像とな?!

中になにやらお婆様の像があります。

写真はガラスが光ってしまって見づらいので、新宿歴史博物館の画像の方が見やすいです

木造で座高70センチ。頭から肩にかけて頭巾状の綿を被っているため、「綿のおばば」とも呼ばれる。 咳止めや子どもの虫封じに霊験があるといわれ、綿は咳止めの御礼参りに奉納したと伝えられる。 同時代の事件や、巷の噂話を記した『藤岡屋日記』によれば、 正受院へ押し入った泥棒が、奪衣婆の霊力により捕えられた話や、綿に引火した灯明の火を、奪衣婆自らもみ消したなどの逸話が評判を呼び、嘉永二年(1849)春にかけて江戸中から参詣人が集まったという。 本像は小野篁の作であるとの伝承があり、また田安家所蔵のものを同家と縁のある正受院に奉納したとも伝えられる。 構造や作風から江戸時代初頭の作と考えられ、像底のはめ込み板から、元禄年間(1688〜1704)には正受院に安置されていたことが分かる。

なるほど・・・・。引火した火を自分で消したとか、すごいな!婆さん!! 素敵!

この後は、なんとなくゆるゆると坂探訪。 靖国通り沿いにあった「住居表示街区案内」が興味深いので載せとく。 こうしてみると新宿も見どころが多いわねー。 あ、西向天神、富士塚のあるところだ!いつだったか行ったよね。

さて、 おお、下ってますな〜。 坂です(茗荷坂)! 右手にはお寺。

古地図だとこのへん

坂を降りきると左手に大きなお寺。松榮山源慶寺だそうです。

このあたりは茗荷谷。

みょうが坂児童公園。
このあたりは茗荷の産地だったそうで。

そういえば丸の内線に茗荷谷って駅あったよね?
文京区だけど。

ちょっと調べてみるとやっぱりそちらでもミョウガが生産されてたそうで。
ミョウガって谷地で涼しい場所でよく育つらしい。
湿っぽいとこがいいのかな。

さて、ここからどうしよう。
最終的には曙橋の方に行くつもりだけど。
富久町交差点にいます。

おや、なんか素敵な旧道感のある道。

うん、間違いなく旧道ですね。

なるほど。古地図を見るとこの通り右手の敷地はお屋敷みたい。

たまらん!

突き当たったところは、
何やら高低差を感じる!!

崖の上は真宗大谷派 白鳥山 善慶寺だそうです。この道路も窪地なのかな。

自証院坂というのを登ってみますか。

登った先には坂道の名前の由来となった自証院という寺があります。

日須上人を開山とし、尾張藩主徳川光友の義母自証院を区領するため創建された。堂宇の用材として の節目が多いものを用いたため「ふし寺」、「瘤寺」と呼ばれたことがある。 明治時代末期、小泉八雲がこの付近に住み、「瘤寺」とその周辺の様子を作品に残している。

あまり時間もなかったため、お寺には入らなかったせいか、肝心の本堂の写真、撮るの忘れてた!!

 

ここからふらふらっと歩いて、正直よく覚えてないけど、本当にタダノ散歩して、 発見したのは、

シブ〜い柳の木と

「道が突然階段に変わる場所」です。

うわお、先がない!

階段でした。

この近辺の古地図。薬王寺というお寺があるんですね。

ちょうどその付近の民家の敷地の中に、囲みで見えないけれど、お堂の屋根みたいなのがあって気になる〜〜〜〜。

このあともお散歩は後編へ続く!!

お散歩まとめ

お散歩地図は、この記事の続きで四谷方面までまとめて記したものです〜。ずいぶん歩いたな〜。

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