東禅寺は閉まってたから、洞坂でシビれる!!【お散歩日:2022.03.07】
さて、東禅寺は閉まっていたので、周辺の散歩でもしますか。
ちょっと地図見て気になっていた坂があるし。
その坂は「洞坂(ほらざか)」。
東禅寺の門前から右手の道を進むと・・・ゆるゆると登り坂になり。
案内板発見!
ここからぐぐっと急坂に!
ですと。
かなり急!!手すり付き!!
途中で振り返るとこんな感じ。
はあはあ・・・
もう東禅寺のお寺の屋根の上の高さです。
登り詰めると道路にぶつかります。これも坂道。桂坂だって。
なぜここに来たかというと、この坂の上に・・・
高野山東京別院という大きなお寺があって、
位置的にもしや、敷地から東禅寺の塔が見えるのではないかと期待してきたのです。
でも本堂の裏手(そちら側が海方向)は墓地でした。展望のきく場所はなさそう。
諦めまして、桂坂をまた下り、途中で見つけた道(階段!!)を降りてみよう。
ここたぶん、東禅寺の裏手につながるから。
いいですね~。こんな道。
ほんと、平坦な土地で生まれ育った私には楽しくて~。
いっぺん下ってから、また上ったりして、、、
予想通り、境内に沿った道。
境内の塔が見える!
戻ってきたところで、閉まってるのは閉まってるので・・・
泉岳寺の方面へ行ってみよ!
第一京浜に出まして、泉岳寺の駅の方向へ向かう。
途中、、、
お、さっきの桂坂の説明版がある!
ふむ
あの・・・どう反応していいか。急死とはお気の毒なことですが、
かつらをかぶった僧?!?!
どういうこと?
こんな無責任なガイドがありましょうか。
誰か「かつらをかぶった僧」ってなんなのか教えてください!
かつらをかぶった僧が、とある坂道で急死したら、その坂がかつら坂という名前になるもんなんでしょうか?
僧であることを隠すためにかつらだったんでしょうか。
品川からの帰途って、品川って位置的にそんなに遠いところでもないし、わざわざ品川って言ってるのは、例の悪いところに通ってたお坊さんってことなんでしょうか。
なんかそう考えたら、あり得る状況のような気がしてきた・・・。
って、最初に書いてある蔦カズラがはびこっていた坂って説が一向に頭に入ってこない!!
気を取り直して・・・
あれは高輪ゲートウェイ駅。
周辺は盛大に工事してますからね。期間限定の眺めですな。
桂坂との交差点の角になにやらあります。
ほお、文字起こし大変なので、ちょっと分割拡大してみます。
ふ~ん。
そうか、高台にある繩手ってことか。
牛持ちさんたちは移住させられたのですな。
そして、もう1つ案内板。
平成7年(1995)、高輪二丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。
石垣には、主に相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられました。
発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わり頃に積みなおされたものと考えられます。
正面の小ぶりの石が積み直されたものです。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。
この石がそうなんですな。
都営地下鉄泉岳寺駅の上の交差点まで来た!
泉岳寺、中門内まで行ってみました。
ここも夕方になってしまったので、またの機会にね。(だいぶ前に訪問したことあるけど)
名所がたくさんあるこの辺りは、散歩道として整備されてますな。
東京都指定の歴史と文化の散歩道。
このあたりは、芝高輪コース内の「高輪潮の香散歩」エリア。
今は、スマホでGPS機能付きで地図が見れるけれど、こういう案内板だけ辿ってお散歩するのもまた楽しいかも。
むか~し(昔)は、地図のコピーを手に持って旅をしたもんじゃわい。(急に老人)
さて、帰る前にもうひと散歩。
また坂がありますよ!!
伊皿子坂。
こうしていろいろ説明板を読んでいると、坂の名前って(地名って)テキトーなんだな・・・。
坂を登り切り、日本榎通りを左に進むとまもなく、高輪皇族邸。
この当時はまだ上皇ご夫妻がお住まいでした。
そのまま日本榎通りをつらつら進む。
かわいらしい洋館がありました。堀江歯科医院ですって。
その横の道がたまりません!!
洋館のお隣にある民家もなかなかじゃないすか?
その次の角の下り道も♪
次の角は「坂」じゃなくて、證誠寺というお寺でした(笑)。
もうちょい進んで、ん?「とらや」?
あの和菓子の?赤坂にあるやつの元祖?っと思ったら、関係はないそうです。
残念ながら閉業だそう。
今回お散歩、この辺で~。
このあとクタクタになって、高輪台の駅まで歩いて帰りました~。
お散歩まとめ
東禅寺(公式)
東禅寺(港区観光協会公式)
洞坂(ほらざか)
桂坂
伊皿子坂
地図は記事前編のルートも含まれています。