「初、深川!」で富岡八幡宮行って月島まで散歩したよ-2-【お散歩日:2021.06.05】
またまた富岡八幡宮の方へ戻りまして・・・・。
さっき地図を見た時に気になっていたものを見にいきました。
それは・・・
これ。八幡橋。
旧弾正橋は、明治11年(1878)東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋です。
昭和14年(1929)現在地に移され八幡橋を改称し、以来人道橋として活躍してきました。昭和52年(1977)近代橋梁技術史上価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。
また、アメリカ人技師スクワイアー・ウィップルの特許を基本としたところから、平成元年10月、国内で初めてアメリカ土木学会より「栄誉賞」を受けました。
橋って地図に書いてあるのに、川がないよ!
これです!
カッコイイ~。
見ての通り、埋めちゃったんですよね~。かつては八幡堀という川だったそうです。
この「川」感がたまらない!!
今は八幡堀遊歩道として整備されてます。”川の道”に架かる橋だね!
人力車のオブジェのあるところに、説明板が。
旧弾正橋。
ややこしいんですが、この橋はもともと別の場所に架橋されたもので当時は弾正橋と呼ばれてました。
その地でのお役目を終え、八幡堀に架けられて以降、八幡橋と名前を変えたわけです。
その弾正橋は八丁堀3丁目にあって、現在橋のたもとには弾正橋公園があり住民の憩いの場になっている模様。
今度行ってみよう♪
東京のかつてあった川をたどる散歩も面白いよね!
さて、川筋から上がり、ぐるっと迂回しまして八幡橋を渡ってみましょう!!
おお~
ここに水が流れていた頃を想像してみよう。
さてさて、時系列ちょっと戻り・・・
川の道をうろうろしていると、
もう1つ”橋が置いてある”んですけど、
こちらは旧新田橋だって。これもお役目を終えて、ここで保管されてるんですね~。
この写真は在りし日の姿ですね。木場だけあって材木が!風情ある景色~。
新田橋の位置はここです。現在の赤い橋の見た目も好きかも。
そして
もう1つ、気になっていたのは・・・
ここには富士塚がある!!っと古地図に明記されていたのです。
ほら
富士山描かれているよ!
さっき、深川不動に行ったときに見つけられなかった。
どこだ?
八幡宮敷地内に間違いはないので、そちらの方角へ確認しにいく。
本殿向かって左手の方向へ。
きっとこの中だ!
あった!
富士塚、小さいw
石碑。
境内の外側の道沿いに案内板がありました。
昭和30年頃の富士塚写真。この頃、けっこう壊された富士塚多いんですよね。
骨董市もやってるんだ。また来てみたいな。
さて、八幡宮を去りまして、やはり地図を見て気になっていた「深川東京モダン館」という所へ行ってみました。
なにやらレトロな建物がありました。
旧東京市食堂。
正面左側にある丸い窓が素敵。
まちあるき案内所として機能しているようです。
中に入ってみましょう。
このタイル、いいですね~~~。
なぜか、「案内所」としてのフロアの写真、撮り忘れてしまったのですが、
観光のパンフレットや、周辺見どころの説明、観光に関する書籍が読める図書コーナーがありました。
お土産販売コーナーもありまして、深川めしの素なんかもあったよ。
建物についての説明も。
食堂から始まって、現在までの歴史。
メニューが興味深い。
定食には甲乙あって、嗜好食とは今で言うアラカルトってやつですね。
これ見る限り、今日食べられている日本の食事と大して変わっていないよう。
現代の日本食の基礎は明治に洋食が入ってきた頃に確立したということかしらん。
ところで、これを見て衝撃を受けたのが、営業時間。
定食の提供時間、朝は6時~8時、昼食は11時~13時。現代と変わらないですが、
夕食が夕方4時から7時ー?
ずいぶん早いなあ・・・。
営業時間(19時まで)の関係でこうなのか、それとも当時の日本人の一般的な夕食時間がこれくらいだったのか・・・。
昭和初期、どうなんだろう?
と思ってた矢先、
私が学生の頃ですが、地方に旅行した際、県庁所在地にあるデパートなんかのレストランの閉店時間が19時30分とかだったのを思い出した。都内は21時30分くらいだったかな・・・。デパートが19時に閉まる時代でした。
そう思うと、18時前後で普通か。16時に夕食はさすがに早いとしても・・・。
それならテレビのゴールデンタイムが19時~なわけだ。夕食終わって片付けも済んで、これからテレビ見てくつろぐよっていう。
現代では、私のいる業界なんかでも会社の終業定時が19時だったりしますからね(朝遅いけど)、ここから帰宅したら夕食は早くても20時ですよ。
こんな生活に代わってきたのは、もしかしてここ20年くらいの話?!
生活様式の変化、興味あるな~。
館内には、戦前の牛乳瓶が展示してありました。
なんか花瓶にできそう~。
牛乳瓶って、最近ではすっかり見かけなくなったけれど、まだ現役なのかな。
銭湯に行っても、もう紙パックだよね?
私、「昭和の子供」なので、懐かしいっす。(とは言っても給食の牛乳は三角パックだったし、あまり馴染みはないのですが)
さ!帰ろう!
もうちょっとぶらぶらして月島駅から帰ることにしました。
永代通りを門前中町の交差点へ。
この喫茶店、とっても気になる~。ここでモーニングとか食べてみたい。
清澄通りを進むと・・・
橋を渡りましたが、おや、あれは船着き場。
こんな案内板が。黒船橋乗船場。
ここは大横川ですが、こういう乗船場が整備されてるですね。さすが、川の街!
橋のたもとに・・・戦災殉難者慰霊碑。
墨田区もそうですが、東京の下町を散策していると、いたるところにあります。
あの東京大空襲で亡くなった方たちへの慰霊碑。町内ごとにあると言ってもいい。地元の方々の建立なんですよね。
今の東京の姿を見ていると、どんなに想像力働かせても実感できないのですが、
忘れてはならないし、なかったことにしてはならない街の記憶なのだと。
「昔のこと」になったとはいえ、たいていの日本人にとっては、祖父母、両親の生きていた時代ですよね。
さて、進みましてまた船着き場の案内が・・・
っと、左手を見ますと・・・
船?!
明治丸記念館とやらがありました。
ここは東京海洋大学の敷地で、この船は国の重要文化財なんだとか。
もうほんと、江東区はあとからあとからネタが出てくる!!
(特に、海なし県埼玉の出身としては目新しいものが続々ww)
そして、月島へ向かう途中に、中之島公園。
かつては本当に島だったそうで。今は埋め立てられて地続きとのこと。
この先、相生橋。渡れば月島です。
永代橋が見えるわー
石川島エリアにはタワマンが並ぶ。
左手は豊洲方向。ほんと、ビルばかり。
ここら、夜景はきれいなのよ。
しかし、佃島エリアに入ってくると、なんて素敵な昭和の街並み!!
ここまで来たら、あれにお参りしましょう。
佃天台地蔵尊。
この路地。
いつ来ても、痺れます!!
お参りを済ませ・・
月島駅から帰ります。
古地図によれば、ここは完全に海の中!