御殿山から品川神社・富士塚登山【お散歩日:2020.09.08】
さて、ここから品川神社へ向かいます!
この道の感じ・・・
やっぱり旧道。
川があったみたいですね。
なんか、無茶苦茶な交差点です。
五差路か?
ソニー通りという広い通りに出まして、ずーっと東へ進んでいくと、案内板が。
(元・出雲松江藩大崎屋敷跡)
この地は、鳥取藩下屋敷になる以前は出雲国(現・島根県)松江藩松平家下屋敷跡(拝領地14,982坪、抱地4,230坪)で、7代藩主松平治郷(号・不昧)が隠居後、ここに独楽庵はじめ11の茶室を造り、茶道三昧の晩年を送ったところとして知られる。その後、周辺の抱地以外は幕府に公収され、嘉永6年(1853)に鳥取藩池田家に下屋敷として与えられた。
このころ、著名は茶室は取り払われたという。
安政2年(1855)頃の鳥取藩主松平(池田)相模守慶徳(15代将軍慶喜の兄)は32万5千石の家禄があり、上屋敷は八代洲河岸(現・千代田区丸の内)、中屋敷は浜町大橋際(現・中央区日本橋浜町)にあった。
このあたりは本当に大名屋敷ばかり。
どうりで、今でも一等地なわけですな。
この通り沿いにある印象的な建物はガーデンシティ品川御殿山。
オフィスビルです。
またまた案内板。八ツ山の坂。
さてさて、薄暗くなってきたので先を急ぎます。
ソニー通りから右手に入り、静かな住宅街を。
ギャラリーがあったり
原美術館があったり
大使館があったり、いい場所ですね~。
ミャンマー大使館のところで左折して、
何やら公園らしきものが
すごい(蚊の出そうな)鬱蒼とした森林。庭園です。
水のせせらぎも聞こえ
なんと。整備された美しい庭園ですな。
御殿山庭園ですって。
ここで東海道線の線路を超えます。
線路多いな~。
振り返るとタワー。
江戸時代だったら、このあたり。
山というだけあって、高台です。
広重の名所江戸百景にも描かれています。桜の名所だったのですよね。
ここは個人的散歩の師匠、村尾嘉陵さんもお花見に訪れています。
そして、品川神社に到着しました。
階段が急。
参道途中から、富士塚の登山道がはじまります。
鳥居をくぐって登山開始!
登山道。
途中、誰かいる!役行者さんかな。
格子でフタされてるのはなぜでしょうか。
誰かいたずらでもしたのでしょうか。
歩きやすい階段で整備されて、通路も広め
平な登山道。
っと、安心しているのもつかの間、途中からこんなんなります。
9合目。あと一息!
頂上です。平!
この富士塚はもともと台地にあることもあって、高さがありますな。
てっきり江戸時代後期の築造かと思っていたのですが、明治に入ってからだそう。
なんかビックリしたのですが、明治2年ってほとんど江戸時代ですから!
(日本の歴史教育のせいか、明治と江戸を切り分け過ぎなんですよね、そりゃ、大革命でしたからね。勝てば官軍)
でもこちらの富士塚、江戸七富士に数えられているとか。
この塚が築かれる前に、リニューアル前の富士塚があったのかな・・・。
今回調べてみて、改めて謎が深まってしまった。
どなたか、知ってる方いたら、教えてください!
このポール、国旗掲揚でもするのかな。
眺めが良いです。(反対側は普通に神社の敷地ですが・・・)
目の前の高架線路は京急。
羽田が近いので、飛行機がかなり低く飛びます。
さ、暗くなってきたし、帰ろう。(足元注意!)
階段下の通りに戻って、富士塚を見上げると、あのポールが見えます。
web上、調べていたら、興味深い写真がありました。
1963年の富士塚の様子。
お散歩まとめ
前記事、池田山公園から今回のルート
八ツ山坂
品川神社
錦絵で楽しむ江戸の名所 御殿山