佃島と鉄砲洲富士!-その2-
【お散歩日:2019.08.10】
佃島散歩の続きです。
この時間ですから、“閉店”してます(笑)。※私の散歩はたいていそう。
御祭神 底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命(住吉三神)
息長足姫命(神功皇后) 東照御親命(徳川家康)
例祭 八月六日
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波技原に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三神です。
神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御守護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(大阪佃)にお寄りになり住吉三神を遥拝にありました。これが大阪佃の住吉の社(田蓑神社)の起源です。
遥か後、天正年間に徳川家康が摂津の多田の廟に参詣の時、田蓑島(大阪佃)の漁夫達が漁船をもって神崎川の渡船を勤めた由縁で家康公がこの島の住吉の社(田蓑神社)にも参詣し、家康公の漁業の傍ら田も作れとの事で、村名を田蓑から佃に改めさせました。そして田蓑の名を残すため社名を住吉神社から田蓑神社へと改めました。
天正十八年(1590)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡正大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉載して江戸に下り、寛永年間に幕府より鉄砲洲向いの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保二年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉還祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです。
佃島は江戸湊の入り口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行われ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。
さて、参拝を済ませてから、先ほどの橋の方に戻ります。
説明板があります。
昭和の初めに、あちこち橋ができて、廃止された渡し船が多いなか、昭和39年まであったのは貴重かもしれないですね。
工場があったからかもですが。
ちょっと調べてみたところ、隅田川には今でも渡し船があるそうです!
それは北区の工場のプライベート渡し船。たまたま川の向こうとこっちに工場の敷地があるからだとか。
社員さん以外は乗れないのが残念です。
堤防に上がって向こう側を見ると・・・。あそこですよね。
「石川島」で働いていた人たちはここから帰ったのかな。ちょうど夕方なので思いをはせてみる。
さて、渡し場の近くには「佃まちかど展示館」というのがあり、祭りや歴史などの説明があります。
地元ならではのお祭り日程表。ちょうど住吉神社大祭が終わったところだったんですねえ。
しかし、炎天下。ああ、喉乾いた・・・。真夏のお散歩は脱水症状に注意。
何か飲み物を買おうと近づいたら、なんと水が100円ですよ!!
あの赤い橋は佃小橋。
おっと、ここに銭湯(日の出湯:中央区浴場組合公式サイト)があって、ちょうどおじいさんが石鹸と洗面器を持って入っていきました!
ああ、なんて素敵な風景なんでしょう。
あのおじいさんは、この銭湯の向いの家から出てきました。毎日こうやって銭湯に行ってるんでしょうか。
うらやましい。家の前に銭湯があったら行く!
いいなーいいなー、自分ちの目と鼻の先にお風呂屋さんがあるなんて!
佃住吉講
ここに埋めてるんですか。
さし石に触ってはいけないそう。
※さし石とは、若者が力試しや力比べで使う石だそう。
怪しげな看板を見つけたところで・・・(続く)
※佃島、面白いものが多すぎて写真撮り過ぎ・・・。今日は力付きました(笑)
この辺にいます。
お散歩まとめ
住吉神社(公式)
所在地:東京都中央区佃1-1-14
佃島渡船場跡(つくだじまとせんばあと)(中央区公式)
所在地:東京都中央区佃1-2(佃公園内)
佃まちかど展示館
東京都中央区佃1-2-10先