大田区

羽田!呪いの鳥居?っと無縁仏のお堂【お散歩日:2024.06.01】

ずーっと気になっていた場所。
やっと訪問しました。

羽田は飛行機乗る時以外にも、Zeppができて、ライブで来るようになったので以前より、親しみを感じる場所になりました。穴森稲荷も行ったし。 (穴守稲荷が妖しい雰囲気だった件【お散歩日:2024.6.22】)

天空橋駅から出てきたんだけど、こんななか歩いてる。
そこらじゅう、工事中!※注:ほぼ1年前のお散歩

目的地はあの赤い鳥居。向こうに見える橋は海老取川に架かる弁天橋。

赤い鳥居前に来た!
これはもう、その道(なんの道?)では有名な鳥居。
呪いの鳥居・・・あ、それは都市伝説で・・・。

現地にある案内板の一部。
かなり詳しい説明がされています。

羽田空港のある地は江戸後期に新田が開墾され農村だったところ、明治に入ってから温泉が出たり、海水浴や潮干狩り、この地にあった穴守稲荷の参詣で賑わい、鉄道もひかれ、一大レジャーランドとして栄えたのです。

戦後、羽田空港は占領軍に接収され、空港拡張のため、在住の人々は強制退去されられた。48時間で出ていけとうことだったらしい。ひどいわ・・・。

それで穴守稲荷神社も移転することになり、旧建物は取り壊されたのだけれど、この鳥居だけは撤去作業中に事故が起きたり、工事担当者が変死したりで、いつのまにか「穴守稲荷さまの祟り」との噂が。

そして羽田空港返還後も、鳥居は空港敷地内に立ち続け、1999(平成11)年、羽田空港がさらに拡張するにあたって、ようやく現在地に移されたそう。(この時は呪い発動しなかったのかな)

そんな鳥居の立つ周辺は多摩川の河口に面していて、サイクリングの立ち寄りスポットで、みなさん川を眺めながら休憩してる。

そして、飛行機観察スポットでもあります!

平和の鳥居の上を飛行機が飛ぶ

さて、この後、海老取川河口向かいのあそこへ行きます!

弁天橋を渡って、川を挟んで眺める鳥居。

こんな案内板があったけど、赤レンガの堤防だと?
まったくノーチェック!なんだろう、いったい。

そして、来てみたかったもの2つめ。

五十間鼻無縁仏堂。

五十間鼻はもちろん地名で、多摩川と海老取川が合流する地点に石積みの沈床のことで、長さ50間(90m)あることから、こう呼ばれるのだそう。

五十間阜無縁仏堂の由来
創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。
その方々を、お祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが、初代 漁業組合長 故伊東久義氏が管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有緑無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。
その後荒魔著しく、仲七町会小峰守氏、故伊東米次郎氏大東町会、故伊東秀雄氏が、私財を持ち寄り復興致しました。
又、平成十六年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋などを修理、増設、現在に至ります。
又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗長照寺住職並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。
合掌

お堂へ続く桟橋の上に、男性がずーっと佇んでいたため、近寄れず、拡大写真にて失礼します。

さ、多摩川の上流の方を見る。
釣りを楽しむ人々。風情がありますねえ。

上流に向かって歩いていくと、水門!

羽田第一水門。水門にはやっぱりワクワクしてしまう!

河口の景色はいいなあ。

首都高の下も絶賛工事中。何か注意書きが見えるけれど・・・

スペースが足りなかったのね。でも小さい「ね」がかわいいわね。

首都高をくぐった先に、羽田の渡しの案内板が・・・(石だけど)。

羽田の渡し
古くから、羽田漁師町(大田区)と上陵町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという(現在の大師橋下流、羽田三丁目で旧城南造船所東側あたり)。
この渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので、「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていた。
渡し湯付道の川幅は約四〇間(約八〇m)ぐらいで、「オーイ」と呼ぶと対辛まで聞こえたという。
その昔、徳川家康が狩りに来た帰りに、お供の者と別れて一人でこの渡し場に来たところ、船頭は家康とは知らずに馬のアブミを取ったという伝説が伝わっている。
ここで使われた渡し船は、二〇~三〇人の人々が乗れるかなり大きなもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を行き楽していた。
江戸の末には、穴守稲荷と川崎大師参詣へ行き交う多くの人々がのどかで野梅の多かった大森から糀谷、羽田を通り羽田の渡しを利用するため、対岸の川崎宿では商売に差しつかえるので、この渡しの通行を禁止して欲しいと公儀に願い出るほどの賑いをみせていたという。
また、明治後期から昭初期にかけて、川遊びをする船も往来していた。
物資の交流だけでなく、人々の生活、文化の交流など大きな黄談をしてきた時田の渡しは、時代の変化とともに多くの人々に利用されたが、昭和14年に大師橋が開通したことにより廃止された。

少し先へ行くと、なんかあります!

「羽田レンガ堤(レンガ陶壁)の沿革」だそうで、これか、さっきの案内板にあったのは。
横にレンガが見えますが!

大正から昭和の初期に、多摩川の洪水対策としてレンガで築かれた堤防だって。

そして、足元の草むらに、カサコソと動く影が!!
カニがいて、ビックリしたのです!!こういう河口にはいるんだね。

今の堤防より内側に、

ずーっと続いてる。これが昔の堤防だったんだね。ここまで川だったんだな。

大師橋が見えてきたところで、今日の散歩はおしまい。
ちなみに橋の手前にあるのは、羽田第二水門だそう。内側は川じゃなくて、船の係留地みたい。

お散歩まとめ

五十間鼻無縁仏堂 総務省による説明
羽田赤レンガ堤防
羽田の渡し

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