台東区で気になってた子規庵に行ってみた【お散歩日:2024.09.22】
正岡子規といえば、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」しか知りません!(すいません・・・)
どっちかというと「坂の上の雲」の登場人物としての扱いなので・・・(さらにすいません!)
でも、数年前松山へ行った時は、松山市立子規記念博物館行ったもんねー。
んで、この日、以前から存在は知っていた台東区根岸にある子規庵へ。

山手線「鶯谷駅」から徒歩5分程度か。てくてく歩いて見えてきた!

小さな平屋の建物。「庵」って言葉のイメージにぴったりだよねー。
こちらの施設は、毎日公開しているわけでなく、夏季休暇などもあるので、訪問する際はホームページで確認してくださいましー。
新聞『日本』、及び俳紙『ホトトギス』により活動し、子規庵での句会には森鴎外、夏目漱石も訪れ、歌会には伊藤左千夫、長塚節等が参加しました。歌紙『アララギ』の源流となります。 主著には、俳論『俳諧大要』『俳人蕪村』、歌論『歌よみに与ふる書』、歌集『竹の里歌』、随筆『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』など多くがあります。 子規はこの場所に明治27年(1894)2月から住み、同35年9月19日病のため逝去します。母八重、妹律は子規没後もここに居住し、その後は子規の門弟寒川鼠骨(そこつ)が庵を守り続けました。昭和20年、戦災によって平屋造り家屋は焼失しましたが、昭和25年鼠骨らにより旧規の通り再建され、現在に至っています。指定面積は405.6㎡。
明治35年から明治35年に亡くなるまでこの地に暮らしたそうです。
実際の建物は、旧前田藩の下屋敷の長屋だったそうな。
江戸時代のいつ頃なんだろ・・・。
子規亡きあとも母と妹が居住していたそう。
昭和元年には、解体修理をしたとのことだけど、その後、昭和20年の空襲で焼失してしまいました。
この建物は、お弟子さんたちの努力で昭和25年に再建されたもの。

玄関をガラリと開けまして、入庵料を払ったら内部見学。
玄関からまっすぐ先の庭の見えるお部屋。客間として使っていたそう。錚々たるメンバーが集まって句会が開かれてたんだって。
再建とはいえ、古民家に違いありません!趣があってすてき〜。
小さいけれど、庭が見えるのって良いです。
話脱線するけど、最近新しく建築される家って庭ないよね〜。土地も高いんだからしょうがないんでしょうが、狭い敷地いっぱいに家を建てて、囲としての塀もない。
狭いなりに、住居を広くしたいというのがトレンドなんでしょうね。
ずっと昔、昭和の終わり頃は戸建て住宅って狭いながら庭があるのが多かった印象。そこにマンションとは違った戸建てとしての意義を求めているのかなと思ってたけれど。

客間の隣は、子規本人のお部屋。病がちだった彼は、ここにお布団しいて横になってたそうな。
こんな庭を眺めて暮らしていたら、私にもいい句が浮かびそう!(いや、違うな・・・)
客間から玄関の方を見る。
このお家は、4部屋に台所付き。間取りについては、こちらのサイト(台東区文化探訪アーカイブス)が詳しいので、ぜひご覧くださいませ!
玄関で脱いだ靴を持ち運んで、廊下からお庭に出ることもできます。
うーん・・・
このあたりって、言わずと知れたラブホ街。山手線からも煌びやかなホテルの看板が見える。
ここに来るまでの間もその数の多さに驚いた。
しかも、普通のワンルームマンションみたいな外観の建物がラブホだったりするんだもん。
深すぎる・・・・。
私は以前、西日暮里に住んでたことあるんだけど、たまに鶯谷駅で下車して歩いて帰ったりしてた。
その頃、鶯谷駅近くの公園では、宵の口、あきらかに外国人のたちんぼがたむろしていたのよ。
びっくりしたわー。20年以上前のことだから、今はどうか知らないけれど。
そしてお庭から帰ることもできます。
本日はここから失礼!
あ、このあたりに来たのなら、文政2年創業の羽二重団子に立ち寄ることをお忘れなく!おいしいよ!
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