台東区

吉原へ行くよ~!!の手前の待乳山にて【お散歩日:2022.04.30】

一度行ってみたかったんですよね、吉原!え?

ま、江戸目線で見ると外すことはできいないテーマだし。
今回はいろいろ見どころ満載だったので、3部編成。

今日はまず浅草駅へ!

コロナ禍で外国人観光客はいませんが、和服をレンタルして観光を楽しむ日本人は結構いました。
京都の祇園で舞妓さんファッションするってのありますが、浅草もそういう場所なんですかね??
あまり理解できないけど・・・。

ま、いいや

お、スカイツリー

今戸橋跡

ここは橋とは言っても、今は水路はないわけで、東京によくあるかつて川だったところに残る遊歩道のひとつ。
この川は山谷堀といって、江戸の時代には吉原へ遊びに行く人々が船で通ったそうな。

今戸橋の下を通る吉原行きの船を「親不孝船」と言ったらしい・・・。
堀があったころの絵と写真、いいですなあ~。この写真は昭和49年だそう。

え、私、生まれてますやん。モノクロだからもっと昔かと思ったわ。ま、印刷物からの転用だろうからモノクロなんでしょうね。

このあたり、隅田川沿いのエリアは、公園になってます。ここは山谷堀広場。

すごいな、この地下にこんな水が蓄えられてるんだ。
うん、散歩しててよくこういった施設を説明する看板を見かけます。多摩川の方にもあったし。
見えないところで、東京、いろいろやってるんだな・・・。

山谷堀広場から、隅田川超しにスカイツリー。

川岸は遊歩道になっている模様。

さて、次に向かったのは・・・

待乳山
広重の絵で好きなものがあって。

この隅田川沿いを歩く芸者女性の向こう側、あのこんもりした森のところが待乳山。
その麓では、隅田川と山谷堀が合流してる。
ここに行ってみたかったのです。

なんて、さも知ってる風に書いてますが、ちょっとこの読み方をよくわかっていなかったことを白状しますよ!
だって、広重の絵のほうだと、「真乳山」ってあるんだもん・・・。

「まちつやま」かと思ってた・・・・。

漢字からしてどこに「つ」があるんじゃい?ってツッコミはさて置いておいて、別の感じ表記では、「真土山」というのもあるそうなので、まあ、「まつ」で始まるのが本来の音に近いんですかね。日本語ムズイわ・・・。

台東区教育委員会による説明。

いざ、本堂へ。新緑の美しい良い季節です。

石段を登り・・・・

本堂の前で上を見上げると・・・

ん??大根?!

おやおや?!

大根が!!
ちーっとも知らなかったのですが、このお寺では大根を供えるのだそうです。
私が訪れたのは、すでに16時過ぎで、お寺の業務は終わっている時間だったので、お供え用の大根が販売されているところも見かけませんでした。

お下がり大根の配布とな!
わー、近所に住んでたら、もらいに来る~~~!!

いや、まあ、そうですよね。

境内を散策中、本堂裏手にて、うん?なんだこれ?

なんか乗り物に乗れそうなんですが・・・

あれか!

さすがに、「山」。

正門から入ってきた場合、けっこうな階段でしたからね、バリアフリー施設ということでしょうか。
スロープカーというそうですが、飛鳥山にあったアレと同じかな?
これも時間外で終わってましたのでまたの機会に乗ってみたい・・・。

境内から隅田川方面を望む。川見えませんけどね、

大正5年の絵では、こんな感じだったそう。
風光明媚ですな~。いつまでも眺めていられそう。

古来、待乳山は聖天信仰の聖地としてはもちろん、風光明媚な名所としても、つとに有名であった。
詩歌にも多く詠まれ、江戸時代から大正期の浮世絵にも数多く描かれた。
「江戸名所図会」には、この東側を望む山上から、近くは葛飾の村落、遠くは国府台の木々の
緑が一望できたとある。

現在では木が邪魔してるってのもあるけど、、、左右の建物がなければ、川面を見ることができるのかなあ。

歌碑があって、戸田茂睡

江戸時代初期の歌人。うーん、知りませんでしたー。
散歩してると、こういうことに出会って、どんどん調べることが増えて、あげくにブログの更新が遅れるのよ・・・

江戸時代の名残りをとどめる唯一のもので貴重な文化財である、全長二十五間(四五.五メートル)広重の錦絵にも描かれている。

観音様発見。
出世観音だとか

やさしいお顔でっす。

さて、ここから、いよいよ吉原へ向かいますよ~~~。

お散歩まとめ

待乳山聖天

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