中央区

佃島と鉄砲洲富士!
【お散歩日:2019.08.10】

連日、クッソ暑い日々ですが、ヒマなので散歩に出ました。
鉄砲洲富士は、例のごとく富士塚なので、ある意味使命感というか、ノルマなものですけど、佃島に行きたいと思ったのは、この写真を見たのがきっかけです。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」@世田谷美術館 図録より

東京の渡し船!
私の狭くて浅い認識の中では、「渡し船」というものは、関東ではない地域の入江などに飛び地のようにある離島から、通勤や通学の人々が利用するものか、江戸時代以前に橋のない川を渡るものだと思ってました。(矢切りの渡しみたいな)

だから東京に渡し船が戦後まであったんだ・・・という想像ができていなかったわけです。浅いですね~~。

で、佃島と言えば佃煮、ついでに月島と言えばもんじゃ
その程度です。浅いですね~~。


さて、東京メトロ月島駅で下車しまして、まずは石川島資料館を目指します。
清澄通りを進みます。あの角の酒屋さん、風情があるわ~。


真っ直ぐ行くと橋がありますよ。


相生橋といいます。


川辺が整備されていて、お散歩にはよさそうです。
この辺、川が入り組んでますがこっちは隅田川じゃなく、晴海運河というそう。

このあたりは、IHIの工場があったところで、工場が豊洲に移転した後、大川端リバーシティ21として高層住宅が整備されたそう。
名前に21ってついてるから、やはり完成が1999年ですと。(バブルな匂い・・・)


きれいな街です。いかにも作られたような(笑・ちょっとディスってます)。
「島」だけあって、空気がちょっと海っぽい。
新興住宅ばかりなので、街行く人は子連れファミリー層が多かったです。

で、石川島資料館がある建物(ピアウエストスクエア)に、入館しまして・・・
あまり人のいないビルだなあと思ったら、オフィスビルみたいですね。土曜だから人がいないんだわ。

1階は店舗も入ってました。
案内板があり、従って進んだのですが、ロビーに出て、あれ、外に出てしまうじゃないか・・。
と思ったら、


あやうく見落とすところ(笑)。
入館は16時30分まで。
ビルの中で迷ったせいで数分過ぎてしまったのですが、入れてもらえました。普通に展示を見る分には、30分もかかりません。


パンフレットも用意されており(無料)、いただいてきました。


結構詳しいです。


見学を終えて、今度は庭の方へ出る。暑い・・・。


向こうが隅田川ですな。


こちら側が正面なのかな。ここから入ればすぐ石川島資料館です。


隅田川だ!


ベンチで休むか。暑いけど。


鳩が寄ってきました。
思うに、日頃このベンチでお弁当を広げる人がいるのでしょう。
私は食い物持ってませんからねー。

向いに見えるのは「亀島川水門」。
しかし、言っちゃなんだけど、「水、汚いな・・・。絶対落ちたくない・・・。溺れる以前に。」


あっちが中央大橋。


振り返るとそびえ立つ「大川端リバーシティ21」のマンション。


あ、水門から船が出てきた。


おひとり様乗船で颯爽と進んでいきます。何用でどこへ行くんだろう。


屋形船がいる。夢観月と書いてある。これか!


あちらからも船がやってきました。
面白かったのは、屋形船とすれ違う時に徐行したこと。船のマナーなんですねえ。


案内図がありました。
石川島は元々、人足寄場があったんですね。ちょっと社会からドロップアウトしてしまった人の自立支援だったのか。
無宿人って今で言う住所不定無職ってとこでしょうか。あ、職は関係ないか。


お、前方に見えるアレが渡し場の名残かな。

石川島灯台の説明板。
書くと(私が)覚えるので、書き起こしてみます。

佃島と石川島の灯台
佃島は摂津国西成群田村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師達が幕府の許可を得て築造した漁村である。
家康が1582年(天正10年)、京都から堺の地に遊んだ時、本能寺の変が伝えられ、急遽踵を返して間道を通り抜け大阪に向かったが、出水のため途方にくれている時に佃村の庄屋孫衛門が多数の舟を出して一行を助け、ここに徳川家と佃漁村民の間に固い絆が結ばれることになった。

その後、家康が江戸に幕府を開くにあたり、佃村の漁師に対する恩賞として彼らに幕府の御菜御用を命ずべく老中安藤対馬守を通じて、その出府を促し、1613年(慶長18年)には「綱引御免証文」を与え、江戸近海において特権的に漁が出来るようになった。

1644年(正保元年)には現在の地に百閒四方の土地を与えて埋立てて築造し故郷摂津国の住吉神社の分霊を奉祀し、島の名前を佃島と命名した。

石川島の灯台は1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純奇が、隅田川河口や品川航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足が手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。
この完成を最も喜んだのは近在漁師であった。

このたび佃公園を整備することにあたり、モニュメントとして灯台を建設するとともに、護岸前面に安藤広重の浮世絵をレリーフしたものを3題設置して往時をしのぼうとするものである。

ちょっと調べてたら興味深い物を発見。
白魚献上箱 家康さんの好物の白魚を幕府に収めてたらしい。


で、灯台とはトイレなんですけどね。


そしてまた案内板。


灯台を過ぎて、右手には橋があって・・・。


正面には水辺を活かした公園が。


橋を渡ると・・・
住吉水門


この先はガラッと変わって、古き良き佃島!
この水路は佃川なのかな。川というか、まあこの辺りからは、昔の東京湾になるので海か川かわからんです。

(続く)

この辺にいます。

お散歩まとめ

石川島資料館
開館日は水曜、土曜のみ。
昼休みも閉館してますので、訪問する際はご注意ください。

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