中央区

お江戸の中洲の歓楽街へ!【お散歩日:2023.12.17】

今日は中洲の歓楽街へ行くぞ!!

って、福岡じゃなくて、お江戸の。
よくわからんけど、中洲ってのは歓楽街になりがちなのか?

このテキスト書くにあたって、ちょっと調べたら、福岡に「箱崎」って場所あるんだって?
「中洲」「箱崎」もあるのか・・・。まぎらわしい・・・。

ここを知ったのは、私の好きな広重の絵。


名所江戸百景 みつまたわかれの淵
中洲町会のサイトに説明があります。

隅田川と箱崎川が分岐するところで、江戸時代初期から、月見の名所だったとか。
江戸中期には茶屋が立ち並び、船遊びもできて繁盛したそう。
しかし、それも20年程度で寛政の改革の倹約令によって華美なものは御法度となり、取り壊されてしまったそうです。

それなら、この絵の頃は幕末ですから、歓楽街は撤去された状態なんですよね。
絵の中央、草(葦?)の生えたところが中洲。
繁華街があとかたもなく、なんか寂しくなりますなあ〜。

ちょっと疑問なのだけれど、それならなぜ描かれたのだろうか。ただの川なのに。
まあ、単純に対岸からの眺めが素晴らしかったってことかな。
それと、昔の栄華を懐かしむような心情があって?
いや、別に「中洲」の繁華街跡を描きたかったわけではないか。

ここから散歩!

この日は茅場町駅に着きまして、
まずは霊岸島に渡りますよ。


霊岸橋を渡る!

橋から見る亀島川。
最初にこの地が「島」ってことに衝撃を覚えたんですが、地形からすると確かに島ではあります。
現在では埋立が進んだ状態なので、ピンとこないですが江戸湾に注ぐ隅田川の河口に位置していて、周囲は川で囲まれてますからね。
ベネツィアみたい。

そしてこの霊岸島に入るところにあるのが、日本橋水門
私の大好きな水門です。なんかカッコイイもん、夜に見ると最高ですよ!

その先すぐ左折して、湊橋を渡る。この川は日本橋川ですよ!
首都高が見えますなあ。

橋を渡り終えてすぐに首都高の方へ左折して進んでいくと

ちょっとした公園になっている。
箱崎第一公園。遊具もあって子供が遊んでました。

対岸にはさきほどの水門(の裏側)

古地図で見るとここ!日本橋川と箱崎川が合流する地点。

中洲を目指すには、首都高に沿って進みますが、この道が「箱崎川」なのですよ。


高速の下=かつての箱崎川の上、ここも公園として有効活用。キャッチボール場らしい。


余談ですが、箱崎といえば、首都圏育ちとしては「東京シティエアターミナル」でしょうか。

実際に利用したことはなかったのだけれど、学生の頃の記憶では海外ツアーの集合場所は東京シティエアターミナルっていうのが多かった。
ここで出国手続きして、あとは安心して成田に向かうことができた場所だったようですが、私自身はかつて埼玉県人、直接成田に向かってたし、都民である現在は、羽田から国際便が出るようになって極力成田など遠いところに行きたくないもんねー。

その東京シティエアターミナル、現在はリムジンバスの拠点となってるみたいで、都心から成田や羽田の空港へのアクセスは良いようです。
近くに住んでたらリムジンバス便利なだけれどね、荷物の運搬も楽ちん。

でも現在は、微妙な距離感に住んでるので、羽田空港行く時も、大荷物スーツケースをゴロゴロと、蒲田の街を歩いてたりしてる・・・。

あ、脱線しましたな。


この交差点のあたりは、


浜町堀に架かる川口橋があったところ。

先へ進むと、こんな建物がまだ残っていることに気づきます。
下町感満載ですね。

東京散歩してると、戦後の経済成長期に建てられた「ザ・昭和」な建物が老朽化してどんどん建て替えられているのに気づきます。

虎ノ門のあたりなんかも凄まじい変貌ぶり。
ぴかぴかのオシャレビルやマンションに変わっていくのは素敵だけれど、なんだか寂しくあるのも事実。

まあ、田舎育ち(田んぼの中)の私からしたら、都心の景色は自分の記憶ではないんだけれど、なんつーか、みんなで共有している「昭和の景色」?これは映画などの映像の影響なんだろうか。
誰の記憶なんだって思うわ。

「中洲」へ渡るため、次の角を右折。道の先は清洲橋

首都高くぐったところに、金毘羅神社がありました。
日没が近づくので、本日はスルーにて失礼!

私の向かう先は、中洲の先端なんだ!
三俣って呼ばれている景色のあるところなんだ!
ほぼ住民しか歩かないような道を進む!「お前、誰?!」って思われてそう


そして、ついに到達。


あれが、あれが、

登りますよ!

やった!隅田川!!!
下の川沿いは隅田川テラス。ランニングしてる人も。


スカイツリーも見える。

あ、目の前の船着場にある船、消防の船だ!

ここにいます。古地図アプリによると水没している場所のようですが。
ただここが中洲の先端で、あの首都高の下が箱崎川だから、ここで隅田川と分かれてるってことなんだよね。

ここで、ここで川の流れが分かれてゆく・・・
まったく想像できません!!!

ちなみに「中洲」は明治に入ってから、また開発され、劇場もできたりして繁華街として繁盛したみたいですな。

日が落ちてきました。
隅田川の夕暮れをお楽しみください。

さて、帰るかと土手を戻ってきたら、目の前に消防署。浜町出張所だそうです。
あ、さっき船があったもんね。

最後に

昭和40年代の航空写真があったので貼っておきます。
箱崎川がくっきり!

お散歩まとめ

この日歩いたところ!

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