千代田区

神田川追跡からの富士塚-その2【お散歩日:2022.09.11】

てさて、散歩の疲れで水道橋から御茶ノ水までの一駅、歩くのをさぼって、電車に乗って、、、。

御茶ノ水からのスタートです。
ここから今日の本題、富士塚へ向かうよ!!

神田にある、柳森神社の境内にある富士塚です。
古地図アプリで見つけたんだ!

アプリ内の神社マークで隠れてしまっていますが、柳原富士とあります。

柳森なんだか、柳原だか、
どっちなんだよ!!!って言いたくなったのですがw

このあたり、神田川沿いに柳原堤という土手が築かれていたそうで、それで柳原富士なのかな。

ちなみに、国立国会図書館デジタルコレクションにある江戸切絵図では富士山の絵は確認できないんですけどね。
神社そのものが「イナリ」としかw

で、御茶ノ水駅からスタートなんですが・・・・。

ほんと、散歩してるといろんなモノ見つけるのよね。

聖橋のたもとにある、木に・・・

太田姫神社元宮?

ひとくち神社?
いや、親切にふりがなふってくれてます。「いもあらい」です。

これは読めなかった・・・。京都の地名だそうで、太田道灌が京都の一口稲荷を勧請して江戸城内に築いた神社が元なのだそう。

それ以後、この地に移されたと書いてあります。↓

一口である太田姫神社は江戸城外堀(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削した時
江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)より、この地に移された。
昭和六年(1931)、総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る。

※後半部分、木が削れてしまって良く読めず・・・。

お守りが授与されています。
風邪咳封治、いいな!

ささ、夕暮れも近づいてきたし、淡路坂を下っていきますよ!!
坂を降りきったところで、昌平橋を渡りまして、神田川対岸へ。

橋のたもとに案内板。

ありがたいことに千代田区公式サイトに全文掲載されてました。見てね!
町名由来板:神田旅籠町(かんだはたごちょう)

ここから見えるのは総武線。
中山道を進み・・

万世橋まで来ました!橋から見た神田川。

もうすぐ柳森神社!

川は見えない川沿いを進みます。

ここだ!!

中へ入りましょう!
境内の向こう側は神田川。

お!

これが、これが!
富士塚、、いえ富士塚跡です!

ふーむ、これを読む限り、富士講は江戸の1680年から存在していたそうだけれど、富士塚が築かれたのが昭和5年って・・・マジ?!
20年後には壊されてしまったそうだけど。

昭和に入ってから富士講を再興する動きがあったのか。
この時代なら、富士塚の写真もありそうだけれど、どこかで見れるかなあ・・・。

境内には、丸い石がゴロゴロ。

力石ですねえ。
力自慢んが流行ったってw 今で言ったら、ボディビルダー大会みたいなのかな?

稲荷ですから・・

狐さん。

悪そ~な顔の狐さんが多いですが。ここの狐さんは、気品のある顔に見えるのは気のせい?

境内は神社がたくさん・・・

金毘羅山も。

そして・・・・・

たぬき尊像?!

福寿神。見たまんま、狸を祀る神社だそう。
祠横にある案内板を文字起こしした。

おたぬきさん 福寿神御由来

江戸開府以来、年と共に諸制度も完備して、漸く泰平の世を迎えた五代将軍綱吉公の御代、
将軍のご生母桂昌院様によって、江戸城内に福寿いなりと称して創建された。
桂昌院様は、京都堀川の生まれ、八百屋の娘が春日局に見込まれて、三代将軍家光公の
側室となり、五代将軍綱吉公のご生母となる。

大奥の御女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞって
お狸さまを崇拝したという。

後世、元倉前甚内橋際、向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、
明治二年現在の柳森神社に合祀されました。

開運、諸願成就の福寿伸として、殊に近年は他を抜いて受験、勝運、出世運、金運向上などに
ご利益があると信奉されております。
なお当社において頒与する、おたぬきさんと呼ばれる土製の親子狸のお守りは、素朴でたいへん
愛されております。

崇拝の理由が下世話だけれど、ま、いっか。

帰ろうとして・・・

あ!!

猫です。

急に近づくと逃げるから・・
時間をかけて、そーっと隣に座り、、、、

そーっとなでる。
いちお、怒られなかった。

眠かっただけかもだけど。
帰るけど、また、いつかね!

神田ふれあい橋からの眺め。

神社、よく見える。

今回のお散歩はここまで。
神田川下り、あと少しで隅田川で終わるんだけどなあ。
またの機会に!

お散歩まとめ

柳森神社
淡路坂
町名由来板:神田旅籠町(かんだはたごちょう)

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