両国は濃すぎて1ページでまとまらないの巻-その1- 【お散歩日:2019.07.28】
今日はすみだトリフォニーホールに用(コンサート)があったので、終演後にお散歩をしてみようかなと。
せいぜい夕方の2時間程度だとプチ散歩を想定していたのだが、こんなに濃ゆいことになるとは。
ところどころスカイツリーも望めます。
ここはトリフォニーホールのある建物の2階に登る階段から。真正面にきれいに見えるスポット。
さて、終演後、トリフォニーホールを出て向い側に小さな神社があるのに気づきました。
津軽稲荷神社とな。建物に囲まれてひっそりという感じ。
津軽ってつく理由は推察の通り、津軽藩の屋敷があったからです。
明治になって撤収されると神社は置いてかれたようです。
長崎橋の由来。
橋って言うと川に架かってるものだけど、ここの大横川は大半が埋め立てられてるようなので、この場所については川と言われてもピンときません。
せっかくなので、読めるように分割して全部載せておきます!上半分。
親水公園マップ。
川に沿って整備されてますね。
この先には釣り堀もあるんだって。
大横川親水公園魚つり場
北斎通り。
なにやらオシャレな店も並びます。(人も並んでます。)
暑いときはコレ!急速クールダウン。手を汚すことなく食べられるからお気に入り!
ファミリーマート 墨田亀沢四丁目店で購入。
祭神は相撲の強い人です(たぶん)。
由来を見ると神社自体は、新しいものなんですね。
すみだ北斎美術館。
実はまだ行ったことありません。今日もまもなく閉館時間なのでまたいつか!
竪川、大横川、北十間川、横十間川などの運河と掘割の開削と、両国橋の架橋です。
掘割の一つが南割下水で、雨水を集めて川へ導くために開削されたものです。
北には(現在の春日通り)北割下水も掘られました。
幅は一間(約1.8メートル)から二間足らずで、水も淀み、暗く寂しい場所でしたので、本所七不思議の
「津軽屋敷の太鼓」「消えずの行灯」「足洗いの屋敷」の舞台にもなりました。
昭和初期に埋め立てられましたが、この付近で葛飾北斎が生まれたところから、今では「北斎通り」と名を変えています。
また、この辺りには、三遊亭円朝や歌舞伎作者の河竹黙阿弥も住んでいました。
うわ、これ、気になる。
両国湯屋江戸游
横網町公園です。
よこづなじゃありませんよー。よこあみです。
まぎらわしい・・・・。(字違うけどさ)
ここは関東大震災で最も悲惨な被害が出た陸軍被服廠の跡地です。
一瞬で3万8千人が亡くなった場所。
今は慰霊堂が建ち、この震災と、その後の東京空襲の犠牲者の慰霊と追悼の場となっています。
身元不明の遺骨が納められている納骨堂。入ることはできるのですが、私が行ったのは17時近く・・・。
戦災名簿登録、確認所。
ずっと続いてるんだな・・・。こういう活動。
今だ、消息不明の家族や友人を持つ人がいるんだと・・・。
これもすでに閉館時間で見れませんでしたが、関東大震災からの復興を記念して建てられたものだそう。
この花壇は小学生がデザインしたものだそう。いいですね。こういう企画は。
前編ここまで!!